足尾銅山と山地荒廃の歴史(その3)

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5. 山地の荒廃

 しかし、明治中期以降、銅の生産量が増えるに伴って、製錬所からの
廃水や排煙も増加し、鉱害問題が深刻になっていきました。

 製錬所から出る廃水が原因で、明治12年頃から河川において魚類の斃死が
見られるようになり、13年には新生土害ありとして県令で魚類の捕獲が
禁じられました。

 同19年頃から上流部での桑葉の枯れ、下流部での農作物の被害が著しくなりました。

 また、明治中期の産銅量の増加によって、製錬用燃料や鉱山用材の需要も増加し、
製錬所の周囲の山林が次々と伐採され、裸地化していきました。

 それに拍車をかけるように明治20年4月、製錬所より上流にあった
松木部落で祭火が燃え広がり、足尾山地は広範囲にわたって火の海になりました。

 緑濃かった足尾の山は瞬く間に裸地になってしまったのです。

 さらに明治26年、銅の製錬にベッセマー製錬法を用いたことで、事態は
一層深刻なものになりました。

 この製錬法は、副成物として亜硫酸ガスを発生させます。
製錬所から排出された亜硫酸ガスが、山火事後の回復しつつあった
植生にダメージを与え、森林が回復するのを妨げました。

製錬所からの排煙が充満している谷のようす(撮影年不明)
林野庁前橋営林局提供写真より

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